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大阪難波の名物看板の1つ、グリコネオンの看板。
このグリコの看板のランナーには、実在のモデルが存在しています。
それは一体誰なのでしょうか?
・グリコのネオン看板について
まず、モデルとなった人物を発表する前に、グリコネオンの看板について説明します。
1935年(昭和10年)、大阪道頓堀の戎橋にグリコ看板が初めて登場しました。
その後、2代目(1955年~)→3代目(1963年~)→4代目(1972年~)と代替わり。
そして、1998年に現在の5代目のグリコネオンの看板になりました。
5代目の特徴は、ランナーの後ろに大阪の名所が取り入れられた事です。
大阪城・海遊館・京セラドーム・通天閣。
初代から4代目までの看板には、この名所は存在していません。
5代目は、大阪らしさ看板へと仕上がっています。
また、空の部分のネオンが変化するのも特徴です。
朝、昼、夕焼け、星空、と2分7秒かけて変化します。
グリコネオンの看板を見る時に、注目してみてください。
・グリコネオンの看板のモデル
グリコランナー(ゴールインマーク)のモデルの正体は、一体誰なのでしょうか?
一般的に、フィリピン人の陸上選手・カタロンさんがモデルと言われています。
1921年(大正10年)に開かれた第5回極東競技大会に出場した選手です。
しかし調べてみると、どうやらそんな単純な話ではありませんでした。
江崎記念館HPにグリコランナー(ゴールインマーク)について書かれているページがあります。
そこには、次のような文章が掲載されていました。
「当時(1928年)活躍していたスポーツ選手数人のゴールイン姿を参考に表情を描き直しました。」
(江崎記念館HP・ゴールインマークの歴史より引用)
グリコランナーは複数のスポーツ選手を参考に描かれていたんですね。
カタロンさんは、複数の選手の内の1人に過ぎなかったのです。
それでは、他にどのような選手を参考したのでしょうか。
カタロンさん以外に2人いらっしゃいました。
まず、パリオリンピックに出場した谷三三五選手。
そして、マラソン選手の金栗四三さんです。
金栗四三さんは、マラソンの父と称される程の偉大な選手です。
・グリコの看板のランナーの実在のモデルの真相
グリコの看板のランナーの正体。
それは、カタロン・谷三三五・金栗四三の3選手という事になります。
3人のゴールした時の笑顔が印象的だったので、それを参考に描かれたというのが真相のようです。
・なぜカタロン選手だけ有名になったのか?
正確な所は、分かりません。
ただ、唐沢俊一さんの影響ではないかなと思っています。
彼は著書で、グリコのマークの青年はフィリピン人のマラソンランナーカタロン選手と書いていました。
三分の一正解なのですが、この事が一人歩きしたのではないでしょうか。
・まとめ
もし大阪の難波に訪れた時は、名物看板なので見てくださいね。
大阪に来たって感じがしますよ。